将来の利益のために現在の満足を犠牲にする
●思慮分別と倹約、やりくり上手という知性
「将来の利益のために現在の満足を犠牲にする」という克己の精神は、学ぼうとしてもそう簡単に身につくわけではない。
生活の苦しい人間なら当然、額に汗して得た金を何よりも大切にしそうなものだ。だが実際には、稼いだ金を飲み食いに使いはたしてどうにも身動きがとれなくなり、倹約家のお情けにすがろうとする連中がずいぶん多い。さらには、誰の世話を受けなくても不自由一つない生活が送れるくらいの資産を持ちながら、いざとなるとほんものの困窮者と大差ない境遇に身を落としてしまう人間も大勢いる。
しかも彼らは、税金のような社会制度上の問題にばかり目を向け、克己心や自助の精神の重要性などはほとんど顧みない。真の自立を勝ち取るには、個々人が倹約と将来への備えに励むことがいちばん大切なのに、誰もその点に関心を払おうとはしないのだ。
靴屋から身を起こした哲学者サミュエル・ドルーはこう述べている。
「思慮分別と倹約、そしてやりくり上手は、世直しの達人である。この達人は、ふだんは家の片隅でひっそりと暮らしているが、いざとなれば、これまで議会を通ったどんな法律より手際よく生活上の困難を打開してくれるだろう」
ソクラテスもまた、「世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ」と語っている。
しかしながら世間の人は、自分の悪習をわずかでも改めるより、国家や教会を改めるほうが簡単だと思いこみがちだ。一般的にいって、人は自らの非を直すより隣人の非をあげつらうほうが、よほど好みに合っているようである。