自助論 全エピソードまとめ

自らを律し、成功を勝ち取ってきたサッカー日本代表の本田圭佑選手。彼の愛読書であるサミュエル・スマイルズの自助論の全エピソードを掲載しています。

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無名時代の誠実と謙虚の中に生きる

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●お金や権威に左右されない

チャールズ・ベルは、神経系に関する新しい学説を打ち立てたが、彼も堅忍不抜の人であった。

神経の機能については当時さまざまな説が入り乱れ、この分野の研究は三千年前の古代ギリシアの学者デモクリトスやアナクサゴラスの時代からほとんど進歩していないのが実情だった。

ベルは、多年にわたって注意深く精密な実験をくりかえし、一八二一年以来それに基づく独自の見解を一連の論文に発表しつづけた。その論文の中では、下等生物から動物界の王「人間」に至るまでの神経系の発達が丹念に跡付けられ、平明に解説されていた。

ベルの発見した事実はこうである。すなわち、脊髄神経には二つの働きがあり、それは脊髄の二つの根から生じる。一方の根から生じた神経は人間の意思を伝え、地方の根から生じた神経は感覚を伝える ― 。

ベルはこの考えを四十年間心に抱きつづけ、一八四〇年には最後の論文を英国士院に提出する。だがハーベーやジェンナーと同じように、彼も最初は嘲笑と反論の洗礼を受けた。

「次々と論文を発表するにつれ、開業医としての名声を保つのが困難になり、しまいには一人の患者も寄りつかなくなった」と彼は書き残している。しかも彼の学説の真価がしだいに認められると、逆に「われこそはその説の第一発見者なり」と主張する者が国の内外を問わず大勢現われたのである。

だがいずれにせよ、ベルの業績は最後には学界の定説として完全に承認されるようになった。死の床に伏していた博物学者キュビエも、自分の顔が一方の側にひきつってゆがむのをつきそいに指で示し、「この徴候は、ベルの理論の正しさを証明している」と語ったという。

●自分の情熱を傾けられるもの

天文学者のウィリアム・ハーシェルの生涯も、不屈の努力によって彩られている。

ドイツの貧しい音楽家の家に生まれたハーシェルは、若くしてイギリスへ渡り、軍楽隊に加わってオーボエを吹いていた。その音楽の才能は、やがて一人の医者に見出され、彼の家に寄寓することになる。ハーシェルは音楽会でバイオリンをひいたり、教会のオルガン奏者を務めたりしながら収入を得、暇な時間は医者の書斎で勉強に励んだ。

その当時は天文学の発見が相次いでいたが、ハーシェル自身もこの学問に強く心を動かされるようになった。最初は友人から小さな望遠鏡を借りていたが、しだいにそれでは飽き足りなくなり、もっと大きな望遠鏡がほしくなった。だが、買おうにもそれは高すぎて手が出ない。彼は、手製の望遠鏡を作ろうと思いたった。

望遠鏡は反射鏡が命であり、四面の金属鏡を作るには高度の技術が必要とされる。だがハーシェルは苦心に苦心を重ねた末、直径五フィートの反射鏡を持つ望遠鏡を完成させ、土星の環とその衛星の観測に成功した。

ハーシェルはこの成功だけでは満足せず、さらに大きな望遠鏡に挑戦した。直径七フィートの反射鏡を作る際には、気に入ったものができるまで二〇〇枚も試作を続けたという。しかも彼は、生計の糧である音楽演奏をやめるわけにはいかなかった。だから演奏会がある時は、休憩時間になるとステージを抜け出して望遠鏡をひとしきり調節し、またオーボエを吹きに戻ったほどである。

こうした長年の努力が実り、ハーシェルはついに太陽系第七の惑星、天王星を発見する。彼はこの惑星の軌道と運行速度を詳しく計算し、結果を英国学士院に報告した。一介のオーボエ奏者の名は一躍脚光を浴び、当時の国王ジョージ三世の知遇を得るようになる。

だが、ハーシェルは名士となっても、無名時代の温厚で謙虚な人柄を変えることはなかった。困難に打ち勝って大きな成功を収めたこのような人物の例は、古今の伝記の中にも少ないだろう。

 - 3章 - 人生の転機を生かす力