自助論 全エピソードまとめ

自らを律し、成功を勝ち取ってきたサッカー日本代表の本田圭佑選手。彼の愛読書であるサミュエル・スマイルズの自助論の全エピソードを掲載しています。

*

旺盛な活力と不屈の意志に満ちて 〜バクストンの物語①〜

LINEで送る
Pocket

●何事も徹底的にやり遂げることをモットーとした男

イギリス本国およびその植民地における奴隷制度廃止運動は、多くの人の精力にあふれた献身的な活動によって支えられてきた。なかでも大英帝国のすみずみにまで奴隷制度廃止を徹底させるという大事業をやってのけた人物としては、下院議員のファウエル・バクストンが名高い。

幼少のころのバクストンは、不器用でのろまな子供だった。また、めだって我が強く、その気質は最初のうち横暴なふるまいや片意地を張る態度となって表われた。彼は少年時代に父親と死別したが、幸いにも聡明な母親に恵まれていた。彼女は注意深く息子の意志力を鍛え、ある程度は親への服従を強いたが、反面で彼にまかせておいても安心できることは自分の思い通りにさせてくれた。強い自我は、それが価値ある目的に向けられ適切な指導を受ければ、人間として貴重な資質となるはずだ ― 母親はそう信じ、その考えに従って息子を育てたのである。そのため、他人から息子の強情さを指摘されても、彼女はこう答えるだけだった。

「よけいなお世話だわ。確かにあの子は、いまは我が強いにすぎないけれど、そのうちにすばらしい人間になるはずよ」

バクストンは学校ではちっとも勉強せず、劣等性で怠け者だと思われていた。宿題などは友達に押しつけたまま、自分はあちらこちら飛び回って遊ぶガキ大将だった。

十五歳で学校を卒業し家に戻ったが、そのころの彼は体の大きい育ち盛りの不作法な若者で、ボート乗りと狩猟、乗馬、野外スポーツ意外には何の興味も示さなかった。そして一日の大半を猟場の番をしている男と一緒に過ごした。その男は善良で、人生や自然に対しては鋭い観察眼を持っていたが、いかんせん読み書きがからっきしダメであった。

当時の彼は、よい性質を身につけるか、それとも悪習に染まるかという大切な時期にさしかかっていた。この人生の岐路で、彼は運よくガーニー家と交わりを持つことになる。ガーニー家は社会的地位も高く、同時に教養豊かで博愛心に富んだ名家であった。

後にバクストン自身が述べているように、ガーニー家との交際は彼の人生にとってバラ色のできごとだった。ガーニー一家は彼に教養を高めるよう強く勧めた。そのかいあって、彼はダブリン大学へ入学し、優秀な成績で卒業するまでになる。卒業に際して、彼は「すばらしい成績を収めることができたのは、ガーニー家の人たちが応援してくれたおかげです。賞状を持ち帰ってあの人たちに見せてあげたい」と語っているほどだ。

やがてバクストンはガーニー家の娘の一人と結婚し、ロンドンの叔父が経営しているビール会社の社員として新たな人生の第一歩を踏み出した。

子供のころの御しがたい強情さは、いまでは強い意志力として彼の性格のバックボーンを形成し、そのおかげでどんな仕事も倦まずたゆまず精力的にこなしていけるようになっていた。しかも、彼は仕事に全力を注ぎこんだ。背丈が二メートルに近く、「象のバクストン」と呼ばれていたほどだが、活力と実行力にかけてはたいていの人間にひけをとらなかった。

彼はこう語っている。

「まず一時間はビール作りの仕事をして、次の一時間は数学の勉強、さらにもう一時間は狩猟をやったものだ。どれも手抜きなどせずにね」

ビール会社の共同経営者に昇格した彼は、たちまち有能なマネジャーとしての手腕を発揮した。どんな大がかりな商取引であろうが、細部にわたるまで彼はきめ細かく指揮をとった。そのおかげで、会社は以前とは見ちがえるほどの繁栄を遂げた。もちろんバクストンは精神修養のほうもおろそかにせず、夜間は学問に励んだ。

読みはじめたら必ず読み通せ

中味を完全にマスターするまでは、その本を読破したなどと考えるな

精神を集中させて、あらゆることがらを学べ

これらは読書についての彼の格言である。

 - 5章 - 意志と活力