自助論 全エピソードまとめ

自らを律し、成功を勝ち取ってきたサッカー日本代表の本田圭佑選手。彼の愛読書であるサミュエル・スマイルズの自助論の全エピソードを掲載しています。

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勝負のカギとなる「持続力」②

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●「勤勉」を味方にしている人の仕事のしかた

文学の分野でも、ビュフォンのように持続的に努力をしている例は多い。その最たる人物はウォルター・スコットであろう。

若き日のスコットは、法律事務所で文書の筆写という雑役同然の仕事を長く続けていた。彼が創作に打ちこむ姿勢には、この時の経験が大いに生かされている。

●スコットのエピソード「勤勉な態度の重要性」

法律事務所では、毎日がうんざりするような仕事のくりかえしだったため、スコットには自分自身の時間がもてる夜の間が何よりの慰めとなった。そして彼は、深夜まで読書と勉強に専心した。「われわれ文学者には勤勉な態度というものがしばしば欠けているが、それを身につけることができたのも、退屈な事務所勤めのおかげだった」とスコットは述べているほどだ。

文書の筆写は、一枚につき三ペンスの収入になった。彼は、時には残業までして十二時間で一二〇枚の文書を書き写し、三〇シリング以上も得ることがあった。その金は書物を買うためにあてがわれたが、そうでもしなければ、彼にはとうてい本を手に入れる余裕などなかったのだ。

後年のスコットは、自分が実務家であることを常に誇りにしていた。「天才は日常のありふれた仕事を嫌い、軽蔑するものだ」などと聞いたふうなことを語る詩人連中に、彼はきっぱりと反論した。彼の説によれば、むしろ日々のありふれた仕事をきちんと果たしていくことで、人間はより高い能力を身につけるものなのだ。

エジンバラ最高民事裁判所の書記として働いていたときも、スコットは文学の執筆の大半を朝食前にすませ、昼間は裁判所で登記の事務や各種文書の筆写の任にあたっていた。『スコット伝』を著した義理の息子ロックハートは「スコットの生涯で特筆すべき点は、最も文学に打ち込んだ時期でさえ、少なくとも半年以上にわたって一日の大部分を書記の仕事に費やしていたことだ」と書いている。収入は日常の仕事から得るものであり、文学を生計の糧とはしない ― これはスコットが自分自身に課した生活の指針であった。彼はこう語る。

「文学は、私の精神の支えではあっても生活の支えではない。いくら私の作品が売れたとしても、できることならその金を生活費に回したりはしたくないのだ」

●成長は「無知の知」から始まる

スコットは時間厳守を心がけ、実に規則正しい生活を送った。そうでなければ、あれほどおびただしい分量の文学作品を生み出せはしなかっただろう。彼のもとには毎日、分厚い手紙の束が送り届けられた。その一通一通に返事を書くのはうんざりするほどつらい仕事である。だが彼は、調査や推敲の必要がない手紙にはその日のうちに返事を出すことを日課としていたため、一度たりとも先方に義理を欠いたことはなかった。

また、スコットは毎朝五時に起き、自分で暖炉に火を入れた。ヒゲを剃り、着がえをすませて六時には机に向かう。九時から十時の間には家族が集まって朝食をとるが、それまでに彼はその日の執筆予定のほとんどをこなすことができた。

このようにしてスコットは、疲れをものともせず勉学に励み、広い知識を身につけ、長い歳月をかけてすぐれた作品を世に送り出した。にもかかわらず、彼はいつも自分の非力さを嘆いていた。

「ふりかえってみれば、私は常に自分自身の無知に責めさいなまれてきたような気がする」

スコットのこの言葉には、正真正銘の英知と謙虚さが表われている。人は、正しい知識が多くなればなるほどうぬぼれの心が消えていくものなのだ。

トリニティ・カレッジの一学生が「大学で学ぶべきことはすべて学びつくした」と思いこみ、担当教授のところへ別れを告げにきた。すると教授は、「私はまだ知識の宝庫にいたる糸口を見つけたにすぎない」と答えて、その学生をいさめたという。

浅はかな人間は、ものごとの本質を理解することなく、生半可なうわべの知識を得ただけで自らの才能を誇ろうとする。逆に、賢明な人間のほうが「私は自分が無知であることを知っているにすぎない」と進んで認めるものなのだ。

あのニュートンのごとき天才でさえ、「目の前には手も触れられていない真理の大海原が横たわっているが、私はその浜辺で貝がらを拾い集めているにすぎない」と語っている。

 - 2章 - 忍耐 努力が苦でなくなる法