自助論 全エピソードまとめ

自らを律し、成功を勝ち取ってきたサッカー日本代表の本田圭佑選手。彼の愛読書であるサミュエル・スマイルズの自助論の全エピソードを掲載しています。

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「もしも私が何もかも恵まれていたら・・・・・・いまの私はない

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●「もしも私が何もかも恵まれていたら・・・・・・いまの私はない:

いくつかの例をあげてみよう。

ジェレミー・テーラーは詩才に恵まれた神学者である。リチャード・アークライトは多軸(ジェニー)紡績機を発明して綿工場発展の基礎を築いた。また、テンダテンは英国法院の首席裁判官として名高く、ターナーは風景画の巨匠である。だが、彼らはみな一介の床屋から身を起こしてその地位に達したのだ。

シェークスピアが劇作家として名を成す前の職業についてはいまだに不明である。父が家畜解体業と牧畜業を営んでいたため、シェークスピアも若いころは羊毛を梳(す)く仕事をしていたともいわれる。また、学校の門番として働いた後、ある公証人のもとで書記をやっていたという説もある。

実際、シェークスピアは一個人の人格のみならず、あらゆる人間の縮図をその人間性の中に持ち合わせていたかのようだ。作品中に出てくる船員用語があまりにも正確なので、船に詳しい作家の一人は、シェークスピアが船乗りだったにちがいないと主張する。ある司祭は、シェークスピアの作品を引き合いに出して彼が元聖職者だったことを証明しようとした。その一方で、昔は馬を扱う商売をやっていたと断定する者もいる。

この意味でシェークスピアは確かに“名優”であり、その人生を通じて数多くの役を演じてきたといえよう。しかも、広い分野で経験と観察を積み、そこから驚嘆に値するような博識を得たのだ。

彼は何事をも注意深く学び、熱心に仕事に励んだにちがいない。だからこそ今日まで彼の作品は、われわれの性格形成に強い影響を与えつづけているのである。

●コペルニクスもニュートンも幼少の逆境から学んだ:

天文学の発展に大きく貢献した人々の中にも、貧苦から身を起こした例は多い。

コペルニクスはポーランドのパン屋の息子だった。ケプラーはドイツの居酒屋の息子で、自らも酒場のボーイをやっていた。またダランベールは、冬の夜にパリのジャン・ル・ロン教会の石段のところで拾われた孤児で、ガラス屋のおかみさんに育てられた。

ニュートンはイギリスのリンカンシャー州グランサム付近の小さな農家の息子であり、ラプラスはセーヌ川河口の町オンフルール近くの農家の息子だった。

彼らはみな幼少の頃の逆境にもめげずに、生まれながらの天分を発揮して確固たる永遠の名声をつかんだ。このような名声は、世界中の富をすべて集めても手には入らないだろう。富は、貧困よりもむしろ人間の成長にとって障害となるほうが多い。

ラグランジュの父はイタリアのトリノの役人だったが、投機に手を染めて身を持ちくずし、一家は貧困生活を余儀なくされた。

だが、晩年になってラグランジュは、自分が名声や幸福を得られたのも一つにはこの苦しい境遇のおかげだったと回想している。

「もしも私が裕福だったら、おそらく数学者などにはならなかったはずだ」

 - 1章 - 自助の精神